ガネーシャ神は
食べ物と甘いものが大好きでユーモアのセンスも豊か!
これを聞いただけで
勝手な親近感を覚えてしまうわたしは
食べることが大好き!
今ではお酒はほとんど飲まなくなったけど
甘いものだけはまだやめられない、、、
食べるものへの執着がこんなにあるなんて
自覚することができたのは
結婚して夫に指摘される様になってから
(その頃すでに40歳!!!)
「ご飯を食べるためにこの星に来たんだね」
と夫はわたしに言う
それを象徴する様に
わたしの父はお米を作っている
(しかも趣味で!!!)
完全無農薬の父の作る米は
いろんな意味でプライスレス!
父のお米をこよなく愛してやみません
(๑>◡<๑)(๑>◡<๑)(๑>◡<๑)
どの神様もそうなのかもしれません
わたし達が神様にみるものは
わたし達自身の内側に眠るものを喩えているメタファー
だから
その喩え方は
わたし達次第でどんな風にでもなるのです
自分の内側にあるものしか
外の世界に現れない
だから
様々なメタファーの中で
「どの喩えを選び取るか」
ということも自分次第
わたし達は自分の見たいものを
見たい様に見る生き物なのです
全ては自分の内側にあり
外の世界での経験は
その自分の内側にあるものを
気づかせてくれるだけなのです
では
わたし個人のガネーシャ神の象徴による
「気づき」とはなんだろう?
ネズミはそこら中にあるもの
なんでもかじる
あらゆる動物の中で
貪欲で食いしん坊な生き物だ
そしてこのネズミが象徴するのは
決して満足することのない
「ひとの感覚」
ネズミをコントロール(制御)できる術を持ってる
ガネーシャ神は
障害を取り除く神であり
スピリチュアル・ガイドとして
学業、叡智、繁栄、成功
エゴの崩壊(自己認識の獲得)
自己の高み到達への導き
不忠、不吉な道からの守護など
その象徴するところは非常に豊かだ
つまり
あらゆる繁栄や豊かさは
人の感覚(尽きることのない欲求や感情など)のコントロールの下に
備わるものなのだ
わたしはガネーシャ神から
自分の人生をその様に捉えて見た
自分の感覚(感情)をしっかりとコントロールできれば
豊かさは手に入る
これがわかれば あとは
「どんな経験を選択するか」
をその都度自分で認識し
その選択の精度を高めていくだけだ
自分の望むもの(経験)だけを選び取っていく
望まない同調(アチューンメント)は
選択肢から省く
それが幸せな在り方で生きる
ということなんです
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